『わたしの備忘録』

『わたしの備忘録』

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掌編『ある村の音』

『ある村の音』

 

 村のはずれで、月に一度訪れる旅人が異国風の楽器を奏でていた。その調べはこの渓谷にある村全体へと響き渡り、風と共に音もまた舞っていた。私は、作物の手入れをするようにと、母から言い渡されていたので、ちらちらと音のする方を気にしながら、葉っぱに群がる子虫を追い払ったり、雑草を抜いたりしていた。
 この村は恐らく、外界からは程遠い場所に位置しているのだろうと、幼いながらに気づいていた。周囲を見渡せば、禿げた山肌がちらほらと見えるような、尾根に私たちは住んでいた。足場のおぼつかない稜線を歩いていると、山から圧縮されたような風が吹いてくる。私たちは、長いこと、この風と生きてきた、それだけは確かなことだった。
 私は、自分の仕事を足早に済ませ、例の旅人が居るほうへ向かっていった。自前のラットルを腰にぶら下げていた私は、心地よい乾いた音と一緒に踊ることができる。カラカラ、ザッザッ。そして、気づいたように、風も叫んでくる。木の実や動物の爪をまとめたその楽器が、私のお気に入りだった。
 そこには人だかりが出来ていた。皆が仕事を放棄して、旅人の音と戯れている光景は、神秘的だった。ここに住んでいれば、なんてことのない風景なのだけれど、その日、私は山風に背中を押されていたのかもしれない。
「今日はね、行商から面白い話を聞いたもんだから、これはみんなに話さないと、と思ってね。足早にこうしてやってきたのさ」
 見慣れた旅人はそういって語りだした。手元にある不思議な楽器の音色と共に彼の声が風に吹かれていく。
「前に話したように、この世には様々な人が住んでいるんだ。去年の収穫祭の時に話した『砂の民』。これなんかは、緑に囲まれた君たちにとっちゃあ、不思議なものだったろうね。それで、今回の人々の話は砂とは打って変わって、海に囲まれた人々の話さ」
 海。あの水の溢れた場所。それに囲まれた人々。私は人の間を搔い潜って旅人の目の前に行った。
「海については、みんなも知ってはいることだろう。この山を下って南に降りていけばそれらしき場所もある。僕も半信半疑だったんだが、砂の民が住む砂漠のそのまた先、ずっとずっと東の果てには海と共に生活している人たちがいるらしい」
 村の子供たちは、目を輝かせて彼の話を聞いている。大人たちも興味がないふりをしながら聞いているようだった。だって、作業している手が止まっているんだもの。私だって同じようなものだ。彼の話を、彼の音と、村の音の中で聞いていると、私はこの風と共に山を下り、砂漠を超え、海を越えられるような気がした。風はどこにでも吹くんだよと、私の父が言ったのを思い出した。
「そんな場所ではね、僕たちの感じる風とは違って、風から海の匂いがするんだよ。僕も少しだけ感じたことがあるんだけど、あれは気持ちが良いよ」
 海の香り。どんな感じだろう。あの魚みたいな匂いがするのかな。旅人が少し羨ましかった。
 そうすると、母がやってきて、「あんた、畑はどうしたの?」と言ってきた。私は、「あと水やりだけだよ。今から行く」そういって、旅人の元を離れた。母と畑に向かう途中、私は旅人から聞いた話をした。
「ねえ、海の風ってどんな感じなのかな?」
「さあ、どうだろうね。あ、海の風っていうと、木々が枯れて大変だってきいたことがあるよ」
「へー、そうなんだ。わたしね、いつか海の風を探しにいきたいな」
「あはは。あんたはこの村でお婿さんを捕まえないと。人手が足りてないんだよ」
「わかってる。うん、わかってるよ」
 じゃあ、畑よろしくね、と言って母は去っていった。
 でも、わたしは、いつかこの風を背負って、海の風を感じたい。そう思っていると、腰のラットルがカラカラと鳴った。

 

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