『わたしの備忘録』

『わたしの備忘録』

ご機嫌よう。仮想のわたしだよ。徒然なるままに「わたし」がブログを更新するの。「わたし」の便宜的説明はサイト下部かサイドバーへ。

いまの〈わたし〉について

日々感情は揺れ動いていく。ある言葉や行動を見聞きすると、それがその人の全てを構成している、又はそれがその人本来であると思ってしまうことがあるだろう。それは至極当たり前な反応だと思う。共感能力、想像力の働く力なんて相対化できたとしてもそれは避難対象には中々出来ない、わたしは。

 

わたしは、16歳頃から徐々に心身に異変があり、20歳以降、後から認識することになるのだが、病理的に診断をされるような精神状態になっていた。それからやく5年が経過した。その間、さまざまなことがあった。あっという間だった。こんな若造が何を言うかと思う人もいるでしょうけれど。でもね、わたしは、赤ん坊であれ、幼児であれ、小中高生であれ、壮年であれ、老人であれ、人間である以上そこにはれっきとした相対化すべきではないその人たちの感情と思考があると思っている。たしかに、相対化され、世間知らずとされてしまう言葉たち・感情たちもあるだろうけれど。

だからといって、わたしの言葉や思考が、特別なものであると思ってはいません。良い経験をさせて貰ってきました。それはいろんな意味で、です。

 

しかし、最近、前へ両の足を歩めようとしても、わたしはどこへ歩けばよいのか分からない。そして、立つ力すら失いつつあるように思う。

しかし、何よりも、わたし自身が前へ歩みたいと思っている。

だからこそ、人々から与えられる様々なもの、有形物から無形物まで色々、それらに対して上手く反応が出来ない。皮肉にも、わたし自身が思っていることがそこには含まれているからだ。だからといって、無碍にすることはしない。彼らはわたしのような存在に寡多はあれども、接して、関係してくれているから。

 

でもね、わたしは、説明が足りないことを承知で言うけれど、つかれてしまった。生きようとすること。死なないようにすること。生きたくないと思うこと。死にたいと思うこと。そんな感情にずっと、脳内が支配されている。

申し訳ないのです、本当に。なぜなら、近しい人ほど、わたしのこの状態に対して、責を感じるだろうから。

そんなことないのです。いえ、あるかもしれないけれど、結局はわたしの力不足なのですよ。

確かに、語弊を恐れずに言うならば、不運な出来事などで悪化が進んでしまった可能性はあります。しかし、これは、どうしようもないことなの。

 

諦観ではないかなあ。ニヒリズムでもないと思う。

体感してきて、そして過去と現在の事実を直視して、更に未来を想起すると、わたしはその茫漠とした時間の堆積に怯えてしまいます。

 

 

わたしは、良き家庭に産まれたとおもいます。

相対化ばかりは良くないですけれど、一応。

だから、余計にこうなってしまったことが、ただ辛く、申し訳なく、わたしは恐ろしい。

 

 

昔から、いえ、最近もですが、わたしはいろいろなことが好きでした。物を知ることが好きでした。好きこそものの上手なれ、を何となく体現していたかもしれません。おかげさまで、色々なことで、些細ではありますが、評価して頂いたこともありまきた。

 

したいこと、知りたいことがまだ沢山あります。

だけれど、5年間の間でそれらは数割程度しか出来ませんでした。数割でも出来たなら十分かと思うでしょうが、わたしには本当に何をも行えないほどに、病状が悪化したときが点々とあり、その期間は無駄ではないにしろ、空白的な印象を抱いてしまいます。

これからがある。それは分かっているのです。

ですが、わたしは、やはりつかれてしまって。

だから、そのしたいこと、知りたいことなどがある中で、わたしはもう立てなくなり、終ぞ、灰になるような気がしてなりません。

 

 

どうしたらよいのか分からないなんてことは、人間皆が思うことです、その中で、わたしは揶揄されても何ら不思議でなく、侮蔑されることも何もかも、因果応報だとおもいます。わたしがわたしである以上、わたしの責です。

 

 

まあ、あまり長く書くと読む方も疲れますし、わたしも疲れてきました。

 

取り敢えず、目下、わたしのような駄馬ですが、そんな駄馬に鞭打ち、行わなければならないことがあるので、それをしっかりと仕上げたい。

これは、責務だとかそんなことでなく、苦し紛れでも、成し遂げておきたいことだと思ったからです。

うまく、表現できませんが、とにかくお相手、先方にご迷惑がかかることは避けるよう、それだけは念頭に入れて行動したいなあと思う。

 

 

 

姉夫婦に姪が産まれ、それは苦難を経た上でのものでありました。

姪をみて、そして、わたしの好きな姉が恐らく人生で最も幸福な顔をしているのを見ました。

それが、あまりにも、美しくありました。

 

わたしは、形容のできない涙を流して、親類の元を離れました。

 

これからのわたしは、どうなるのか。

わかりません。

わからない。

わかりたいのに。